増田 宗太郎
(ますだ そうたろう)
福沢諭吉の再従弟でもあったので、のちには慶應義塾で洋学を学んだこともある。享年28歳。
「私は城山に来てはじめて西郷先生に接し、それ以来景慕の情を禁じ得ないのだ。1日先生に接すれば1日の愛があり、3日接すれば3日の愛がある。だから先生の許しを去るに忍びない。先生と死生を同じゅうするほかないのだ」
こういい終わった増田が滂沱たる涙を拭こうともしないのを見て、同志の者たちも皆嗚咽し、言葉を失ったという。増田は生来眉目秀麗、女にもみまがうばかりの美男子で、幼少の折から渡辺重石丸の門に入って皇漢の学を修め、尊皇攘夷の志が固かった。明治7年(1874年)佐賀の乱に際しては、有志の士数百名を集めて江藤新平に投じようとしたが間に合わず、土佐立志社の板垣退助とも親交があったといわれている。 |