西郷隆盛に学ぶ、敬天愛人フォーラム21

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西郷隆盛に学ぶ 『敬天愛人フォーラム21』
西郷隆盛
西郷隆盛と敬天愛人その教えを学ぶ
西郷隆盛を称えた先人

月刊レーダ2004年12月号 労働問題研究会議

−世界に伝えたい『西郷隆盛の精神』−

制度疲労


 北海道道警は平成16年11月22日、裏金問題で、1998年から2003年までの6年間に不正支出された捜査用報償費などの裏金総額が11億円だったとする内部調査の最終報告を明らかにした。

そのうち捜査活動に使った支出を差し引いて約7億1600万円を国や北海道に返還する。芦刈勝治本部長ら歴代本部長5人も対象に含まれる。

福岡県警でも裏金問題で、県警本部計14課の捜査員延べ百人が、課長らの指示を受けて捜査費の不正な会計書類の作成にかかわった事が22日、県警の内部調査でわかった。不正支出は1億7千万円で、法定利息を加えた国と県への返還総額は約2億1000万円になるという。

国民の生命・身体・財産の保護、犯罪の予防・捜査、被疑者の逮捕、交通の取り締まりなど、警察官職務執行法などに基づき遂行される活動(警察活動)をさす。日本の権力システムの中の強力な警察組織の中においての不祥事は、明治以来長く続いた日本の種々の仕組みシステムが、制度疲労を起こしている可能性が極めて高いのではないでしょうか。

 

世直し願望

明治維新前夜、勝海舟との会談により江戸を戦火から救い、廃藩置県等数々の改革に身を挺し近代日本の礎を作った西郷隆盛が死して百二十七年、明治十年、西南戦争において西郷を倒した人々の作った日本帝国が栄えている間、西郷を懐かしみ敬慕する庶民の声は日本全国に溢れていた。明治の終わり近くまでは、西郷が日本に戻ってくるという噂が世にもてはやされた。それは、人々が時代の表面の華やかさの下で、庶民は重い苦しみに耐え、心のどこかに西郷が帰ってきて世直しをしてくれる事を深く待ち望んでいたからではないか。しかし、戦後の教育と経済成長により物質的に豊かになると世直し願望は庶民の意識から消え、いつか西郷も忘れられてきた。しかし、今、物質的繁栄の社会は行きづまりを感じ、今は忘れている精神文化を望み、再び世直し願望がよみがえり、そしてまた西郷が人々の心に呼び出されるようになってきた。制度疲労を起こし疲弊した社会システムを立て直すには、公正、無私、無欲、子孫に美田を買わず、とした西郷精神を身につけた人が社会のリーダーになる事が必要である。

 

自由の女神(自由とデモクラシーのシンボル)

自由の女神はマンハッタン島の南に浮かぶ小さな島、リバティ島に立っています。自由の女神は、フランスから友好の印として、アメリカ建国百周年を記念して贈られました。歴史的にイギリスのライバルだったフランスは十八世紀のアメリカ独立戦争の時もイギリスと戦うアメリカ植民地を支援し、一七七六年七月四日、アメリカは独立を果たしました。
その建国百周年を祝おうと発案したのが、フランスの歴史家・政治家のエドワール・ド・ラブレーという人物で、運動を徐々に広げていきました。建設費が膨大なため、資金集めには時間がかかり、百周年の一八七六年には間に合わず、一八八六年十月二十八日、ついに自由の女神の除幕式が行われました。右手には自由の松明、左手には独立宣言書、王冠は啓発と自由が七つの大陸と海に広がる願いを表しています。像内部の骨組みは、エッフェル塔の設計者ギュスタヴ・エッフェルの設計です。

 

上野公園銅像除幕式

日本の平和の象徴として世界からも評価されている西郷隆盛の銅像が上野公園内に建っている。明治三十一年十二月十八日、(西南の役より、二十一年後)当日、公園入り口には紅白の国旗をひるがえし、式場を銅像の周りに設け、憲兵、巡査等これを警戒して、午前九時頃より、来賓続々として来たり、十時より建設委員長樺山伯爵より報告あり、次に除幕委員長川村伯爵は『南は西海台湾、北は北海道より祝辞を頂き又多数の臨席を得たるを謝し、翁は実に自愛に富み、義に厚き人なりき、故に本日の盛典を見るに至りしは翁が盛徳の致す所なり』と延べられた。次に山県総理大臣の祝辞あり次に、勝海舟伯爵に代わり川村伯爵は勝伯爵の和歌を朗読し、『昔江戸百万人の市民が戦争の被害に合わずにすんだのは全く二勇(西郷、勝)の力なり、いまや幽明(あの世とこの世)処を異にするも両雄一場に会す、勝伯爵の心事深く察すべしもの』と述べられた。

この時、西郷公爵(従道)令嬢の手によりて、幕が開かれたり、その銅像、右手に猟犬を携え、左手に短刀の鞘を押さえ・・・・犬を引きウサギを追う・・銅像の周りは鉄策を持って巡らし銅像は御影石の基台座の上に立てられ基台に下記の誌刻まれる。

この時楽隊は楽を奏し、場内は拍手喝さいの声枠が如し、次いで来賓宮崎誠一郎氏の挨拶あり、・・・・・・

 

西郷銅像基台刻誌

 西郷隆盛君の偉功は、人の耳目にあれば、復、賛述をすべし。

前年、勅により、特に正三位を追贈される。

天恩、優渥に、衆、感激せざる莫し。

故、吉井友実同志と興に謀り、銅像を誅して、以って追慕の情を表す。

朝旨ありて、金を賜り費に?し、資に捐ず。此の擧に纂ずる者二万五千余人。明治二十六年に起工し、三十年に至りて竣る。乃ち、之を上野山王台に建て、事の由を記し、以って後に傅ふ。

 

 西郷隆盛の偉大な功績は国民の多くが知っているが、また、再び褒め称えるべきである。前年、朝廷より勲章(正三位)をいただいた。天皇のおぼし召しに、皆が感激した。故、伯爵、吉井友実が追慕の為に銅像を造ることを同志に相談した。朝廷より金を賜り、費用の一部にして、寄付者二万五千人、明治二十六年に起工して、三十年に出来上がる。之を上野山王台に建てて、その理由を記して、後世に伝える。

 

 

山県有朋内閣総理大臣祝辞  

 贈正三位、西郷隆盛君は才、文、武を兼ね・・・位、将相に陞る。風雲の會、夙に(早くから)維新の大業に賛し、水魚の遇、更に中興の隆治を翼く。勲業一世に光輝き名声千古に照らし而して之に処する。泊善然(心静かで欲のないさま)之を見る。端然(きちんとしる様子)思うに、君の度量、心の広さは、天空しく海広く、君の姿山高く水長し、嗚呼誠に禁ずべき哉、有朋かって君に廟堂(政府)の上に従い教えを国事に師事、久しく交誼を(あついよしみ)を担う。一人悲しむのこと、相許して竟に相終始すること能はざるを、今、会の式に望み今昔の感に堪へず、茲に謹んで蕪辞(粗末な言葉)を述べる。

 

樺山伯委員長報告文

贈正三位西郷隆盛君の銅像建設成るを告げ本日除幕式を行なうにあたり、建設の顛末を述べ諸君の清聴をわずらはさんと欲す。明治二十二年二月十一日憲法発布の盛典が行なわれるに際し、朝廷君の手柄に対して特に正三位を贈られる。朝廷の思し召しに皆感激しない者は無く、芝公園弥生社において祭典を執行して、故吉井友実君、主として君の遺像を建設することを提案して、参会者一同皆賛成して、銅像建設委員会を設ける事にして樺山輔紀にその委員長を委嘱され、その年十一月趣意書を作成して融資者の賛同を求める。爾来続々四方寄付の申込あり、又、宮内省より特に五百円を下賜せられ、前後寄付者二万五千余人、金額三万二千余円に至り、建築工事一切之を男爵九鬼隆一君と謀り東京美術学校に委託して校長及び校員皆終始懇篤(手厚く大事に)に取り扱われた。その工事費は二万五千九百五十円也。建築の知は最初宮城外の広場に許可を得たりしたが都合ありて之を撤回して、更に今の地に定めて許可を得る。

銅像の設計図は当初苦心(最初は軍服姿)を極め、その為に延び延びになったが、ついに今の姿に決定した。之即ち君が平成好む山野で狩りをする姿に、その超凡、脱俗のおもむきを示したり。模型彫刻・高村光雲氏 鋳造・岡村雪馨氏、台座工事・塚本靖氏が主任にあたり。建設の概略上に述べるの如し輔紀幸いに卿の結果を見るには、宮内省の恩賜と有志者多数の寄付ありて費用に窮する事無く、且つ工事に関し諸君の容易懇切技巧成熟により成功に至る。誠に感謝に堪えざるなり、若しそれ金員収支の詳細に至りては精算をしたる上更に明細書を報告する。

目下の計算によれば若干の余剰金が生ずる見込みあり、この余剰金は慈善事業に寄付することを望む。之君(西郷)が平生慈愛の志を身に付けており、以ってこの処分をなさんとするなり。寄付者諸君のあらかじめの了解を頂ける様併せて此処に希望を述べる。

(東京朝日新聞、明治三十一年十二月一九日)

 

勝海舟の祝歌  

 

咲花の雲のうへ野にももつとふ

    いさをのかさみたちしけふかな

 

君まさばかたらむ事のさはなるを

         なむあみだ沸我も老いたり

 


敬天愛人フォーラム21 
代表世話役 内 弘志

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