西郷先生を殺したことは、我が国のアヘン戦争の毒を蒙ることより大きい。 左宗棠が西郷が死んだ後に、ある日本人に語った挿話です。 左宗棠はロシアに対する陸上の備えの重要性を主張する塞防派の代表格であり、海防派の代表格である李鴻章とは政治的に対立関係にあった。清朝の重臣として軍機大臣、両江総督、南洋大臣、東閣大学士の要職を歴任し、清仏戦争では欽差大臣としてフランス軍との和議を成立させている。 左宗棠は張之洞、 曽国藩、李鴻章、とならんで、「四大名臣」とも称される 。
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