西郷隆盛に学ぶ、敬天愛人フォーラム21

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西郷隆盛に学ぶ 『敬天愛人フォーラム21』
西郷隆盛
西郷隆盛と敬天愛人その教えを学ぶ
西郷隆盛を称えた先人

西郷隆盛に殉じた仲間達 大泉藩・榊原政治・伴兼之


伴兼之兄弟


明治十年二月、西南の役が起きた時、庄内藩の青年、伴兼之(ばんかねゆき)榊原(さかきばら)正治(まさはる)の二人が私学校に入り、賞典学校で励んでいた。薩摩軍が出発する時、二人は決然と従軍することを懇願したのですが、西郷先生をはじめ、私学校の校長である篠原国幹たちが「この度のことは、お前達には関係がないから、早く郷里の庄内に帰って勉強し、将来国家の為に尽くしなさい。」と強く何度も帰国をすすめました。

二人は「自分達は、西郷先生を一身にお慕いしています。先生のこの一大事な時に、どうして郷里に帰ることが出来ますか。是非従軍させて下さい。」と云って強硬に願い続けた。やむなく西郷先生も篠原国幹も従軍を赦されました。若し従軍を赦されなかったらその場で自決をし兼ねない様子であったからだそうです。従軍を赦された二人は、命がけで見事に闘いましたが、三月二十日、
、伴兼之が熊本県の植木で戦死、五月十日、榊原正治が延岡で戦死しました。二人は今も最も尊敬する西郷先生と共に鹿児島の南洲墓地に眠っています。

郷里庄内の人々は、この二人の死を伝え聞いて、よくぞ庄内人の面目を発揮して西郷先生に殉じてくれたと、心から感謝したものでした。

西南の役、西郷先生立つとの報に、西郷先生を慕う庄内の人々は皆、先生のもとにはせ参じようとしたが、菅実秀(臥牛)の「この度の戦は、情報が全く入らないので、その真相は明らかではないが、西郷先生の御本心から出たものでは無いと察する。もし先生の真意から出たものであれば、必ず自分にも連絡がある筈である。

しかし一片の初心も無いところから云って、先生の真意からではなく、なんらの事情があり、情義の為に人々に一身を投げ出されたものと思う。そして正道を踏んで之を天下に示されたものであろう。今、庄内の我々が自らの力を量らず、暴挙を企て犬死することは決して西郷先生の御本心に添う所以では無い。」この菅先生の深慮の処置で皆を鎮静したので庄内は事なきを得ました。

明治12年、伴兼之の三兄、秋保親兼(秋保家に入り、後の衆議院議員)が南洲墓地を訪れました。その時、鹿児島の人々は皆、「非常なお気の毒なことをした。西郷先生始め皆で是非郷里に帰るようにとおすゝめしたのですが、どうしても聞き入れなかったのです。」と申されました。

それに対して秋保氏は「いや武士として、また西郷先生の教えを受けたものとして当然のことであります。西郷先生のもとを離れてムザムザ帰るようなことがあったら私達が唯ではおきません。」と云われたので、そこに居合わせた人々は「それでこそ、西郷先生は深く貴藩を信ぜられたわけです。お二人とも至る所で奮戦され、実に見事な最後でありました。」と大いに褒められたそうです。

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