2017/10/31

西南戦争と三菱

  薩摩の強さは近代銃の製造工場を導入、稼動させていた事実,明治9年1月29日、政府は鹿児島県にある陸軍省砲兵属廠にあった武器弾薬を大阪へ移すために、秘密裏に赤龍丸を鹿児島へ派遣して搬出を行った。この搬出は当時の陸軍が主力装備としていたスナイドル銃の弾薬製造設備の大阪への搬出が主な目的であり、山縣有朋と大山巌という陸軍内の長閥と薩閥の代表者が協力して行われた事が記録されている[1]。


陸軍はスナイドル銃を主力装備としていたが、その弾薬は薩摩藩が設立した兵器・弾薬工場が前身である鹿児島属廠で製造され、ほぼ独占的に供給され...

2017/10/31

恩賞を固辞

   西郷は明治2年、維新の功労により、第一の元勲として賞典録を朝廷から受け、藩士としての最高の永世賞大典録二千石。更に9月には王政復古の功により正三位に叙された。

  しかし、西郷は自分の如き無名の藩士が、かような位階をうけては、第一これまで戦死した多くの志士に対して誠に申し訳ないとして再三辞退を申しでた。半生の心血を傾けて王政復古の聖代を迎え得たことが無常の感激であるので、それ以上、個人的な栄誉を望むのは、天意に反するものであるとの、誠に清く高い心境は、到底凡人の思い及ばぬことであり、西郷のような真に己を空しゅうする至誠...

2017/10/31

  西郷を首班とする留守内閣は、現在文明の基礎を成す諸施策を、次々と精力的に実行し、かつ外交面でも日清修好条約を成立させるなど、相当な成果を上げている。

この時代、多くの幕臣が起用され、政府の高官に付いた。勝海舟(海軍大輔)大久保一翁(東京府知事)山岡鉄舟(宮内侍従)大鳥圭介(大蔵小丞)等である。戊辰戦争の恭順はであった勝・大久保・山岡はともかく、最後まで抵抗して箱館戦争の責任者の榎本武揚などは、長州派は殺してしまえとの号令であったが、西郷の一諾で死刑を免れた。なお長州派の猛烈な反対を排して、西郷は恩讐を超えて榎本らに活躍の場を与えた...

2017/10/31

横山安武割腹自殺

政府の腐敗に薩摩藩士割腹自殺!

『明治三年七月 、薩藩士横山安武 (後の文部大臣森有礼の実兄 )が 、時勢に慷慨して 、時弊十ヵ条を指摘した諫書を政府に提出して太政官正院の前で自殺したことがあったが 、後に安武の碑が立つ時 、西郷は参議でありながら 、自ら筆を取って 、その激烈な慷慨の情に共鳴同感する意味の碑文を草している 。安武の不満は西郷の不満であったのである 。』

明治3年7月27日、島津久光の信任暑い旧薩摩藩士、横山安武は明治政府のあまりの時勢に憤慨して改革意見書を提出し、時弊10ケ条を記し政府正院前で割腹自殺し...

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