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横山安武割腹自殺

横山安武割腹自殺

政府の腐敗に薩摩藩士割腹自殺!

『明治三年七月 、薩藩士横山安武 (後の文部大臣森有礼の実兄 )が 、時勢に慷慨して 、時弊十ヵ条を指摘した諫書を政府に提出して太政官正院の前で自殺したことがあったが 、後に安武の碑が立つ時 、西郷は参議でありながら 、自ら筆を取って 、その激烈な慷慨の情に共鳴同感する意味の碑文を草している 。安武の不満は西郷の不満であったのである 。』

明治3年7月27日、島津久光の信任暑い旧薩摩藩士、横山安武は明治政府のあまりの時勢に憤慨して改革意見書を提出し、時弊10ケ条を記し政府正院前で割腹自殺した。

衆議院の御門を警備していた守衛の話によれば、横山正太郎が門前やって来たのは、7月27日夕方、身なりを整え、正装で現れた横山は、静かに門前に正座すると守衛に向かい、「これからここを汚すが、どうか勘弁して欲しい」と丁寧に挨拶をした。「ただならぬ雰囲気はすぐに察したが、あまりに落ち着いた様子だったので、つい止める機会を失ってしまった」このように、横山は守衛が呆気に取られているうちに、素早く懐をくつろげて、短刀を突き立ててしまった。守衛が我に帰った時、横山は既に絶命しており、門前には腹から流れた血が池のように溜まっていたそうだ。

自決したのは政府の要職にある森有礼の実兄で、薩摩藩士の横山正太郎安武。横山は薩摩藩主に実父、島津久光の信任厚く、久光の第五子、悦之助の傅役を務めた側近。「藩内にばかりいては、軟弱な「男になる」と、悦之助に佐賀や山口への藩外留学を勧めるなど、硬骨漢として知られた武士だった。その横山が親類縁者にも告げずに割腹自殺を遂げた理由は、彼の直訴状によって知ることが出来る。

守衛は気づかなかったようだが、横山は自決に際して門扉に、直訴状をはさんだ竹の棒を立てかけていた。その文面は、現政府を糾弾する痛烈な文言で満ち満ちているが、言い分は二点に絞られる。一つは政府の政治方針と投函の腐敗を批判したもので、「政府は庶民をないがしろにし、士族を追い詰めるような政策ばかりを行おうとしている。それについていくら建白しても、聞こうともしない」そればかりか、政府大官は栄華を貪り、その手は金銭にまみれている」という文面となっている。

もう一つは、「朝鮮を小国と侮り、無意味に軍を派遣して攻めるとは諸外国に恥ずべき遇行であり、万一敗戦の場合、億兆の民草にどう詫びるか」という外交政策に対する不満を述べたものだった。特に前項に対しては、岩倉具視を名指しで糾弾しており、他に徳大寺実則の名も挙げて、この両人が現在の政治の腐敗・堕落を招いたと断定している。

政府はこの割腹自殺に大きく動揺し、早くも横山慰霊のために金百両を下賜する予定だ。西郷隆盛も横山の死を悼んで自決の牌を建立するという。事件の背景や事情を詳しく調べようともせず、慰霊金だけを出すというのはいかにもおかしな話だ。これについて事情痛は「政府な、横山の諌死で薩長閥の関係に影響が出ることを恐れており、祭祀金を下賜することで、早々に辞退を収束させたいのだ」とかたる。

横山は岩倉らを名指しで批判したが、実際に権勢欲にすがって金銭を貪っていたのは、むしろ長州閥の高官に多かった。薩摩閥の高官たちは自藩の名物藩士の死を、「長州の汚吏どもが起こした悲劇」と見ているようだ。

今回の割腹自殺事件により、政府内ではドロ沼の暗闘が繰り広げられることになった。それにしても、自決という方法論はともかく横山は薩摩っぽの気骨を見せつけてくれた。事件の後衆議院は、「身分出目に関わらず、全国庶民の意見を政治に取り入れる」ことを目的に設置された機関。そこで腹をかっさばいたことに、横山の真意があったのではなかろうか。

『明治三年七月二十六日に 、薩摩藩士横山安武 (後の文部大臣森有礼の実兄 )が 、新政府の腐敗を慷慨して 、時弊十ヵ条を指摘した諫書を政府に差し出し 、太政官正院の前で切腹して死んだという事件がおこった 。その十ヵ条を少し上げてみよう 。

一 、旧幕府の悪弊が新政府にも移って 、昨日非としていたことを今日では是としている 。 一 、官吏らその高下を問わず 、から威張りして外見を飾り 、内心は名利のとりこになっている 。 一 、政令朝に出でて夕べに改まり 、民は疑惑して方向に迷っている 。 一 、駅毎に人馬の賃銭を増し 、その五分の一を交通税として取っている 。 (鉄道運賃の値上げなどこれですな ) 一 、政府が心術正しき者を尊ばず 、才を尊ぶがために 、廉恥の気風は上下ともに地をはらっている 。 一 、愛憎によって賞罰する 。 一 、官吏が上下ともに利をこととし 、大官連がわがままで勝手なことをすること目にあまる 。 この横山の碑が明治六年に東京に建てられた時 、西郷はその碑文を書いているが 、その中にこうある 。 「この時にあたり 、朝廷の百官 、遊蕩驕奢(ゆうとうきょうしゃ)にして事を誤るもの多く 、時(じ)論(ろん)囂々(ごうごう)たり 。安武すなはち慨然(がいぜん)として自ら奮つて謂く 、王家(おうけ)衰弱(すいじゃく)の極ここに兆す 。

いやしくも臣子たるもの 、千里万慮もってこれを救はざるべからず 、而も尋常の諫疏(かんそ)は 、百口(ひゃくくち)これを陳(の)べ力むといへども 、矯正する能はざらん 、寸益(すんえき)なきのみ 、一死もつてこれを諫むるにしかず 、もし感悟するところあらば 、豈に小補なからんやと 。すなはち諫書を作り 、持ちて集議院に至り 、これを門扉に挿(はさ)みて退き 、津軽邸の門前にて屠腹(ほふふく)す 」

西郷は横山の憤りに同感し 、その行為に共鳴しているのだ 。身参議でありながらだ 。』


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