■ ラスト・サムライ

November 1, 2017

咲く花の美しさ、散り際の潔さー花は散るために咲くのではない。己の天命を知り、そのかけがえのない命を、ー分の迷いもなく全うするからこそ、美しい ------------------------
 
 日本人の 中に脈々と息き、今なおそのDNAを熱く刺激するサムライ・スピリット。現在欧米で活躍する日本の男達が「サムライ」と称され、その「大和魂」に注目が集るのは、理由のないことではない。
 
 人々は彼らの中にサムライ・スピリットを見る。そして、その魂に魅了される。『ラスト・サムライ』は日本の魂であるサムライ・スピリットにハリウッドが初めて真っ向から取り組んだ記念碑的作品である。

 舞台は明治維新の日本。日本という国は、こんなにも美しい国だったのか。日本人は、これほどまでに誇り高く、強く、切なく、真っ直ぐに生きてきたのか、とやがて、サムライたちは、最期の決戦へと旅たっていく。

 その先に待つものが、たとへ何であったとしても、男達の瞳には一点の迷いもない。壮絶にして美しい生きざまに、震えるほどの感動が押し寄せる。日本のサムライ・スピリットは、そのとき、確かに国境を越える

 

 

 

 

------------------------ パンフレットより。

「西郷は天下の人物なり、日本狭しといえども、国情厳なりと言えども、あに1人を容れるに余地なからんや

 日本は1日の日本にあらず、国法は万代の国法にあらず、他日この人物を持ちうるの時あるべきなり、これまた惜しむべし。

 明治10年の戦争は、大久保が江藤を断罪し、前原を処刑したのも、西郷らが死を決して起たざるをえなかった原因であって、西郷らをして戦争に立たざるをえないように追い詰めたのも政府であり、西郷らの行動は「日本国民抵抗の精神」として、後世に伝えるべき貴重なものを含んでいる。



「福沢諭吉 丁丑公論

 

 

西郷を殺したもの達がことごとく喪に服した。涙ながらに彼を葬った、そして涙と共に彼の墓は今日に至るまで、あらゆる人々によって訪れられている。かくの如くにして、武士の最大たる者、また最後の(余輩の思う)者が世を去ったのであ る。

「内村鑑三]

 

ラストサ・ムライ「THE GREAT SAIGO」

- その仲間達 「壮気漲る薩軍の将星 -


桐野利秋

 

 桐野利秋の人となり気宇宏濶人を待つに城府を設けず、武人らしき武人であった。士気一発すれば三軍の将卒も仰ぎ見ることを得なかったといふ。十年の役南洲翁は一切の軍事を挙げて桐野に一任した。

 両虎相争非善謀 両虎相争うは善謀に非ず

 

一刀一扇却胎羞 一刀一扇を却(ひく)は羞の胎(もと)
何人当日知兵在 何人や当日の兵在るを知る
唾手収来六十州 唾手して収め来る六十州    利秋

 

(解説)
  この詩は利秋の真の武人である思いを顕している。西郷翁を信じ、全幅の信頼を置き、殉じた心情があふれている。両虎は西郷と大久保とを表していると考えてもよいが、政府軍と薩軍と解釈してもよいとおもう。両者はかりごとを超えて、大きな時代の流れの中でぶつかりあっているのである。一刀を抜き一扇を返したからには、引く事は武人の心情に適わぬところであろう。何人が当日の兵の思いを受け取ることが出来ようか。自分は手に唾して日本の改革を西郷さんの後についてやってきたのだ。
写真で見る限りでは、書体はのびのびとして留まるところが無い。気宇宏濶の人と評しているが、まさにその通りの人物であったであろう。


篠原國幹

 

 

篠原国幹は恐るべき不言実行の人で、眼を以って唇に代え、腕を以って舌に変へた。しかも態度自ら禪機に合し、私学校を監督して薩摩隼人の英気を鼓舞作興した。南洲翁の股肱中実行力の敢為なるに於いて抜群であった。

 

 

有雨有烟又有雲 雨あり烟あり又雲あり
中原万里乱紛々 中原万里紛々と乱れり
腰間秋刀令方試 腰間の秋水まさに試さん
掃尽妖邪謁国君 妖邪を掃尽して国君にまみえん 国幹

 

(解説)
 国幹は言葉少なく禅機を体した人物といわれた。雨あり雲ありを解するに、この世や世界を大きく捉えている。維新は成ったが、日本の現状は治まったといえず紛々と乱れている。一たび風雲が起きたときには、腰間の曇りなき刀を抜き、妖邪を薙ぎ尽して国君に見えるであろう。なんとも篠原国幹の面目が躍如している詩である。この書は運筆の強弱がはっきりしており、国幹の気性が感ぜられる。


村田新八

 

 村田新八は岩倉具視、木戸孝允、大久保利通等欧米使節団に加わり、欧米の軍情を視察して帰った。薩摩軍中の親知識派であった。幹部の会合に南洲翁は必ず『村田在りや』と問うたと言う。器材衆に秀でて翁の重んずる所であった。


永山彌一郎

 

永山彌一郎は夙に大陸経営論を唱え、最初の北海道屯田兵長官であった。人物剛直にして清廉、御船に戦死するや、地人将軍の英霊、吾が郷の守護神となれりと、愛慕されたと言う。


別府晋介

 

 

 別府晋介は南洲翁に親愛され、翁「晋どん、ここらでよか」と言われ、泣きながら翁を介錯した。天資俊爽にして兼直、且つ同情と犠牲の念あつく身を殺して仁をなすの君子人であった。翁は常に彼の性格を愛し、豫(あらかじ)めその身を託せんと期したと言う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 逸見十郎太は魁偉寧猛その面貌(めんぼう)の如くであった。彼れ鬚髯(かみひげ)皆赤く音吐雷の如くであったと言う。最期まで勇戦して、人皆彼の部下たらんことを希み、争って彼に従ったと言う。


 昭和2年に発刊された西郷画集の中で「壮気漲る薩軍の将星」として6名の人物を挙げている。南洲翁没後数十年たち、維新から西南の役を経て評価も定まった歴史的人物に焦点を当てているが、大正期の人達の認識を学ばなければならないとおもう。

 現在、西郷さん初め桐野利秋等の人物評価が、司馬遼太郎の小説などの影響により曲解されて解釈されていることが残念である。画集にある詩の解説を添えて、将星の人物を考えてみたいとおもう。

 

 

西郷南洲翁大畫集
解説 敬天愛人フォーラム21
世話役 白石 念舟

 

 

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